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2006年08月06日

vol.6「正月がなかった話」

洗い放談
「正月がなかった話」

 「一月元旦」ではなく「正月元旦」である。一月と正月とはおなじ月であるが、内答はちがう。「ボタもち」と「おはぎ」もおなじであるが、これは背景がちがう。ボタもちのころにはボタンの花、おはぎのころはハギの花と名月がある。
 一月といえばたんなる順序であるが、正月といえば順序ではない。これは生活のすべてを正す月を意味する。正月を期して正し改めることに人は不思議さや、おかしさを感じない。人にはなくて七くせがある。その一つでも直すには、やはり正月から…というふみきりがいる。年が改まり、生活が改まり、経営が改まりすれば、そこに正月の芽出たさがある。新しい芽が出る、めでたさである。

 かど松やしめなわがめでたいのではむろんない。形を改めることにより、人人の心を改めていこうというこれも一つのふみきりにすぎない。新しい機械を入れる。それをふみきりにソロバンをもち、水揚げの上昇をはかり、万事に企業努力をそそぐ。名古屋市ではベスト・テンにらくらく入るあるクリーニング経営者に「あなたが大きくなった理由はなんだったと思います」と聞いたら「機械を人より先に入れたことだ」と答えた。  最近東京で大きなクリーニング店を人手に渡した経営者について、あれこれ近しい人たちの話を総合すると、これは前とは逆に機械をつぎからつぎへと買いすぎたことにあったようだ。
 機械を買うということでは、名古屋の成功者とおなじである。しかし買ってからの心構えが、てんでちがっている。一方は機械によってハッスルしたし、一方は機械を入れることだけにいつもハッスルして、これを最高に動かすことがなかったようだ。
 一方はもうけの道具を買い、一方は借金の道具を買った。つまり機械はもうける手段だが、失敗者は手段でなく目的にすり変えていた。これではうまく運ぶ道理がない。
 元旦のおぞう煮は、家じゅうが心中期するところあって大いに正していきましょうという誓いのぜんである。これならばめでたい一年の出発である。明けましておめでとうといわざるをえまい。しかもクリーニング業には正すべきことが山ほどある。これは百十年の業界の歴史に、大きな革新がなかったからだ。つまり正月がなかったことになる。
 こんにちはそれらが一挙におしよせて、あれもこれも正すべき必要に迫られてきている。それを思いこれを思うと、昭和四十一年元旦の朝明けは、大いなる希望と期待で四万二千業者の胸はふくらむことであろう。「明けましておめでとう」の祝福を心から申し上げる。

著作:全国ドライ新聞社

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